精神分析

精神分析には興味がなかった。

平たくいえば、ラカンは、フロイトエディプス・コンプレックスと呼んでいるものを、幼児が言語を獲得する過程においてとらえなおしている。*1


平たく言って頂いてありがとうございます。

そして、フロイトがナルシズムと呼んだものを、「想像界」と呼んでいる。想像界とは、いわば言葉を獲得する前の世界である。そこでは多数の自己が不安定なままで浮動している。象徴界に参入したとき(つまり、言葉をしゃべるようになったとき)、一つの自己(主体)が確立される。その場合、想像界は「抑圧」されなければならない。その意味では、フロイトがいったように、人間はすべて神経症的なのである。しかし、この場合、こうした象徴界への参入(去勢)を拒否することがありうる。それは「排除」と呼ばれている。「排除」とは、いわば「原抑圧」の失敗である。神経症が「抑圧」されたものの回帰であるのに対して、精神症は、この「排除」されたものが自我に回帰してくることである。*2


社会参加が出来ないであろうという意識は「排除」=「『原抑圧』の失敗」により生じていたのかもしれない。象徴界=いわゆる社会に「参加」するためには去勢といい、参加拒否を「去勢否認」という。参加できないという意識は原抑圧の失敗であり、象徴界(社会)への参加拒否にあるなら、参加拒否=参加出来ないだろうという意識ということになる。


自己言及の循環(誤魔化し)から抜け出すには、原抑圧を失敗させた具体(自然主義)的な真実を語らなければならない。

故に、精神分析には興味がなかった...

>フロイトがナルシズムと呼んだものを、「想像界」と呼んでいる。想像界とは、いわば言葉を獲得する前の世界である。そこでは多数の自己が不安定なままで浮動している。


言葉を獲得する前の世界である想像界において、人は自己を確立する前の幼児段階らしい...。


活字圏という社会に至る言語以前の思考過程を、活字圏(社会)の作法と親和性の高いはてなダイアリーに記録することは、幼児が言葉を獲得して象徴界=社会に参与するまでの道筋なのかもしれない。


・・・しれないと思いつつ、誤魔化しであることを自覚している。

*1:柄谷行人漱石論集成』367p

*2:柄谷行人漱石論集成』367〜368p