2011-01-01から1年間の記事一覧

つながりの作法

綾屋紗月さん、熊谷晋一郎さんの『つながりの作法』再読。 本書の第1章と第2章では身体内部でのつながりについて、3章ではコミュニティレベルで検討し、 4章と5章では、当事者研究の可能性と具体例について書かれている。 章を追っていくごとに、「私」から…

引用の衝動

カフカの「訴訟」と「城」はヨーロッパ世界の、「法」の、長い歴史を、ユダヤ人なればこそ、踏まえた作品です。「法」の不条理を「理解」できなかったばかりに、主人公は滅びる。小説ながら、最後の悲劇だと思います。しかし著者は亡くなる直前に、自分の作…

部分引用

随分前に読んだ『つながりの作法』を再読。 自分と綾屋さつきさん、熊谷信一郎さんとの共通点と相違点について第一章と第二章から「部分引用」してまとめてみました。 ●綾屋さつきさんとの共通点。 私の内側からの感覚で言えば、「どうも多くの人に比べて、…

関係の原的な負荷

先日古本屋で見つけた『群像2008年12月号』に掲載されていた加藤典洋さんの『関係の原的負荷-ニ00八、「親殺し」の文学』。「親殺し」というテーマに興味があったので読んでみた。加藤は4節で「関係の原的な負荷」について述べている。 「近代前期の親子…

『海辺のカフカ』のナカタさん

紛争の解決を図る際、 直接的には表象できないものに仮の「形」を与えて、矯正的な「正義の秤」を水平にしようとする場合、各人にとっての有用性や好みが異なる具体的な″物"や"行為"よりも、具体性を「捨象」され極限まで「抽象化」された「貨幣」の方が都合…

公的な営み

考えることは、公的な営みに関わる何かであるような気がする。そんな時、僕はカントを思い出す。カントはどうしてあんなに抽象(観念)的な文章を書いたのか。竹田青嗣さんは柄谷さんの『トランスクリティーク』を批判している本で次のように述べている。 柄…

人間失格

太宰治の『人間失格』のあとがきで奥野健男さんは、 「思うにこの時期、作者は精神的、肉体的に衰弱疲労していて、自己のモチーフを充分に文学的に肉付けすることができなかったと考えられる。(中略)作者はこのような主人公を設定することにより、社会の既…

三角関係

僕には三角関係がなかった。ただ、相手(対象とは言いません)に対する想いがあった。相手がどこかで誰かと幸福になればそれで良いと思っていた。もっとも「誰か」が「自分」では有り得ないという意識があった。その意識が三角関係を問題にしなかった。 三角関…

マディソン群の橋/イーストウッド・・・3

30歳未満の女友達は皆結末をもどかしがった。彼女たちは意のままに生きられる時代に育ったからだ。 1965年の片田舎に暮らす主人公は違う。あきらめるしか選択肢はなかった。(メイキング、脚本のリチャード・ラグラヴェネーズの発言より)

マディソン群の橋/イーストウッド・・・2

分からない?そうでしょ?女ならば結婚して子供を産もうという選択をする。 そこから人生は始まり同時に止まってしまうの。 日常の些事に追われて子供たちが前進できるよう母親は立ち止まって見守る。 子供はやがて巣だっていって、さていよいよ自分の人生を…

マディソン群の橋/イーストウッド・・・1

本は書けない。どうしても、技術的な話に偏ってね。 ジャーナリストは職業柄、創造を控えてしまうんです。 僕は写真をつくるだけ。

バーバー/コーエン兄弟・・・4

「恐ろしくはない。霧が晴れるように何か答えが見つかるだろう。 ドリスに会えるかも。そこでなら彼女に言える。この世の言葉では言い表せないことを・・・」

トレーニング・デイ/アントワーン・フークア

問題は事実じゃない。何を証明できるかだ。

バーバー/コーエン兄弟・・・3

「彼が理髪として直面した悩みは、現代人の悩みです」 俺は現代人。おれを有罪にすることは自分たちの首を絞めること。 “事実でなく、事実の意味を見よ。事実は無意味だ”

バーバー/コーエン兄弟・・・2

「俺は街を歩いている幽霊。家に戻っても、 感じるのは空虚さだけ。 腰を下ろすだけ。誰も出てこない。俺は幽霊。誰にも会わず、誰にも見えない。 顔のない“床屋”」

バーバー/コーエン兄弟・・・1

「耳が不自由だったの」 「誰が?」 「ベートーベンよ。自分の曲を聞けなかったの。きっと頭の中で聞いてたのね」

経路

キルケゴールにいわせれば、“他者”のないところで、自己自身たらんとすることが「死に至る病」である。(柄谷行人『転回のための八章 4』) フロイトの精神分析は、“共通の本質”の如き規則を想定してしまうユングのそれとはちがって、患者と医者の対話関係、…

それから〜これから。

それからについて 明治の文明開化が父の世代を富裕な資産の持ち主に膨張させ、おかげで代助は息子として父親からの送金で父親を侮るほどの教養を身につけ、なおも父親の資産に寄生して遊民の生活をしている。代助が鋭敏な生活倫理に目覚めなければこの安穏な…

草枕

草枕について。 彼は只、自らの憧憬する世界を出来るだけけんらんと描き、その存在を確かめようとしただけの話である。 (江藤淳『決定版 夏目漱石』83p) この作品のやや安価なイリュージョンを展開して漱石の得たものは、極めて高価なディスイリュージョン…

「罪を赦すというこの一事においては、人間は永遠に神に等しいものとなれないのである。かくしてここに、つまづきの極度の集中がある。それは、ほかならぬ神とのあいだの同一性を教えた教説が必要と考えたものである」 (キルケゴール『死に至る病』225〜226…

ノー・カントリー/コーエン兄弟・・・4

「人間ってのはな、奪われたものを取り戻そうとして更に失う。結局は出血を止めるしかない。俺は自分から保安官補になったんだ」 数秒の沈黙。 「お前は辞職するらしいが、なぜそんな気に?」 「俺では...力が足りない。自分が年を取ったら、神が、人生に入…

ノー・カントリー/コーエン兄弟・・・3

「近くに空港は?」 「空港か?飛行場かね?」 「空港だ」 「行き先はどこだ?」 「分からない」 「この土地を出たいだけか?気持ちは分かる」

ノー・カントリー/コーエン兄弟・・・2

「聞くがね」 「アメリカに入国できるのは誰だ?」 「さあ...アメリカ人か?」 「その中の“ある者”だ。誰が決める?」 「あんただ」 「その通り。どう決める?」 「さあ」 「質問する」 「ちゃんとした返答じゃないと通さない。分からないことは?」 「ない」

ノー・カントリー/コーエン兄弟・・・1

「奴は何者だ?究極の悪党か?」 「それは違うな」 「じゃあ何だ?」 「そうだな彼は...ユーモアを持たない男」

精神分析

精神分析には興味がなかった。 平たくいえば、ラカンは、フロイトがエディプス・コンプレックスと呼んでいるものを、幼児が言語を獲得する過程においてとらえなおしている。*1 平たく言って頂いてありがとうございます。 そして、フロイトがナルシズムと呼ん…

語り

初めから「謎」は存在しない。語りえぬものなどない。ただ、語りたくない。 「語れない」と語ることによって、語りたくないと思わせる社会が浮かび上がろうと、 それは人々にとって自明な「現実」に過ぎない。 故に初めから「謎」は存在しない。

問い

学校とは何か、仕事とは何か、結婚とは何か、といった問いに僕は遭遇していない。 生きるとは?愛とは?といった哲学的な問いも同様に。 それらの問いは社会参加当事者が「切実」に、あるいは「何となく」遭遇するのだろうか。 または、口にしてしまうのだろ…

当事者

働けと言わないワーキングマガジン『フリーターズ・フリー』の2号の巻頭言には次のように書かれている。 わたしたちも拘ったいわば『当事者の視点』を持つ雑誌*1 社会に参加できないだろうという意識のあった僕には「当事者の視点」から書かれた言葉の全てが…

罪と罰

もしも罰を受けるのなら、相応の罪を犯したい。それが社会参加なら、どんな罪を犯せば良いのだろうか...

ぼく

大分前に読んだ内田樹さんの『日本辺境論』に良い文章があったのを思い出す。 「ぼく」は社会的には中位にあり、それほど学知や教養があるわけではなく、狂信的なイデオロギーや信教に縛り付けられているわけでもなく、それゆえ読者に対して高飛車に出たり、…