草枕

草枕について。

彼は只、自らの憧憬する世界を出来るだけけんらんと描き、その存在を確かめようとしただけの話である。
江藤淳『決定版 夏目漱石』83p)

この作品のやや安価なイリュージョンを展開して漱石の得たものは、極めて高価なディスイリュージョンであった。かつて学生の頃、彼の所謂「漢文学」を好んで、文学がこのようなものなら一生を捧げてもよい、と思った期待は、あのロンドン生活を経たあとでも完全に消え去っていなかった。「草枕」を書いて、彼ははじめてそうした幻想の無益なことを知ったのである。
文学は決して彼の諒解する所の「漢文学」の如きものではなかった。「只きれいにうつくしく暮らす即ち詩人的にくらすという事は生活の意義の何文の一か知らぬが矢張り極めて僅少な部分かと思ふ」と書いた時、漱石は、切実に、「生活の意義」をことごとく包含し得るような文学のことを思っていたに違いない。(江藤淳『決定版 夏目漱石』85p)


一時的に「一生を捧げてもよい」と思ったものがあったかもしれない。対象は文学ではなかった気がする。「生活の意義」を求めたつもりが、詩的な「生活」への幻想を捨てきれずにいるのだろうか。