経路

キルケゴールにいわせれば、“他者”のないところで、自己自身たらんとすることが「死に至る病」である。(柄谷行人『転回のための八章 4』)

フロイト精神分析は、“共通の本質”の如き規則を想定してしまうユングのそれとはちがって、患者と医者の対話関係、あるいはそこに存する「社会的性格」をけっして排除することができない。そこでは、ラカンがいうように「終わりなき分析」しかありえない。むしろ、精神分析の功績は、孤立した個人の「内省」からはじめることも、“客観的”な立場からはじめることもできないということを、明らかにしたところにあるというべきである。柄谷行人『転回のための八章 7』)


他者不在の絶望状態→「患者と医者の対話関係」という経路から、

「労働者」という地位の保持者たちは、たしかに、「労働」によって社会全体の生産に貢献している(蓋然性は高い)だろう。ただ、彼らは「ジョブ」という地位を占有することによって、社会的財産へ貢献する経路だけでなく社会財産(の一部)を専有する経路をも確保している。(斎藤拓〈立岩真也さんとの共著〉『ベーシック・インカム 最小国家の可能性』200p)

ある地域に、二つのジョブしかなく、それに対して適正の認められる[qualified]個人が三人存在するとしよう。個人AおよびCは個人Bより労働生産性が高い(雇用主が判断した)ため、このジョブは個人AおよびCが占有する。個人Bには生産への「貢献」を社会に対して顕示するパイプがなく、ひるがえって、個人Bには社会的財産から便益を受けるパイプも開かれないのだ。(上掲書200p)


「社会的財産へのアクセス経路」(上掲書231p)に至る道筋へ。