人間失格

太宰治の『人間失格』のあとがきで奥野健男さんは、
「思うにこの時期、作者は精神的、肉体的に衰弱疲労していて、自己のモチーフを充分に文学的に肉付けすることができなかったと考えられる。(中略)作者はこのような主人公を設定することにより、社会の既成の価値感や倫理を原質状態に還元させ、その本質をあらわにさせる」と書いている。


精神的肉体的疲労の故か、自己のモチーフを文学に仮託する必然性がないのか。

太宰治は、自己の内的真実にあくまで忠実で、自己の欠如感覚をあくまで深め、妥協せず自分を偽らず、そして人間の真と愛と正義と美を追求する主人公を設定し、彼が挫折、敗北する過程において、俗世間は偽善にみちた悪を、醜さを、非人間性をはじめてあらわにした。これは十八、九世紀のビルドゥングス・ロマン(教養小説)の自己形成と反対に、真実を追求する故に崩壊し、ついには人間でさえなくなる自己を描いた現代の疎外状況を象徴した小説である」


思考する上では「社会の既成の価値観や倫理を原質状態に還元」しつつ、修行(自己形成)したい。