当事者
働けと言わないワーキングマガジン『フリーターズ・フリー』の2号の巻頭言には次のように書かれている。
わたしたちも拘ったいわば『当事者の視点』を持つ雑誌*1
社会に参加できないだろうという意識のあった僕には「当事者の視点」から書かれた言葉の全てが遠かった。
人がいわゆる『大人』になる前には、まず人の親にあたる人間がセックスをし、生まれ、食べ、育てられるという経緯があります。また大人であっても病気になれば看病を必要としますし、老いぼれ介護を必要とします。当然ながらその一連の営みなくして賃労働は成立しません。人間の生活のなかで、それらの営みはすべて連続的に行なわれ得るはずのものです。*2
「人がいわゆる『大人』になる前には、まず人の親にあたる人間がセックスをし、生まれ、食べ、育てられるという経緯」に加われ(ら)ず「一連の営み」から疎外されているという意識があった。ゆえに「賃労働は成立」しづらかったのかもしれない。「人間の生活」が遠い・・・。
『当事者主権』では「当事者」の定義を「ニーズを持った人々」としている。
私たちは当事者を「ニーズを持った人々」と定義し、「問題をかかえた人々」とは呼ばなかった。というのも何が「問題」になるかは、社会のあり方によって変わるからである。だれでもはじめから「当事者である」わけではない。この世の中では、現在の社会のしくみに合わないために「問題をかかえた」人々が、「当事者になる」。*3
「一連の営み」から疎外された感覚は「現在の社会のしくみに合わない」ために生じたのではなく、普遍(絶望)的なものだった。
僕は常に「当事者以前」、あるいは「当事者未満」の人々のことを考えていた。
当事者以前とはいえ、世界に存在している以上、以前の記事で書いたように「思想の抽象性」、「抽象的なものの現実性」からは逃れることは出来ず、それが社会(世界)とつながる数少ない拠り所だったのだと思う。
罪と罰
もしも罰を受けるのなら、相応の罪を犯したい。それが社会参加なら、どんな罪を犯せば良いのだろうか...
ぼく
大分前に読んだ内田樹さんの『日本辺境論』に良い文章があったのを思い出す。
「ぼく」は社会的には中位にあり、それほど学知や教養があるわけではなく、狂信的なイデオロギーや信教に縛り付けられているわけでもなく、それゆえ読者に対して高飛車に出たり、押しつけがましいことを言わない人(であると読者に思わせたがっている書き手)が採用する人称代名詞です(『日本辺境論』p213)。
僕が「ぼく」(僕)という人称を採用している理由が何となく分かったような気がします。正確には「学知や教養」がないので採用できないのですが。
「ぼく」という書き手は読者と非常に近い位置にいる(中略)ところが、ときには読者との親密な距離を保っていると飛び越えることができない行論上の段差に出くわすことがあります。読者と手を繋いで歩いている限り、それは飛び越えられない。一時的にではあれ、読者を置き去りにして、書き手だけが必死の思いで、「向こう側」に飛び移り、それから縄梯子を作って垂らすというような二段構えでゆかないと越えられない難所がある(『日本辺境論』p214)。
親密な距離を保っている読者を想定し続けているのか、段差に出くわしていないのか。
テムポ正しく、握手をしませう。
最良の教育
ある集まりで、人間は6歳までに体感寿命の75%を経験する、というお話を聞いた*1。話を聞きながら、『カラマーゾフの兄弟』の終わりの方で、子ども時代が一番素晴らしい、というようなことが書いてあったのをボンヤリ思い出した。
新潮文庫版の下巻を取り出しページをめくると、次の箇所に黒線が引いてあった。
これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話をしてもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生を作り上げるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。(『カラマーゾフの兄弟 下巻』493ページ)
後半の太字で強調した箇所については、線は引かれてありませんでした。でも、なぜか気になった
。
*1:科学的な根拠はないそうです。
ターミナル/スティーブン・スピルバーグ
"エアポケット"で一体何を待つ?
バニラ・スカイ/キャメロン・クロウ・・・2
救護いっーーーーーーーーーん!
バニラスカイ/キャメロン・クロウ
頭蓋骨は30本のピンとマイクロパネルと顎の骨で固定。頬骨には軟骨を移植。
・・・
「例えば頭蓋内を固定しているアルミニウム製のビンがイオン化して頭蓋内の圧力を高めているとしたら、再手術を」
「それは考えているが君にテストするのはまだ早い」
「テストしてくれ。僕を実験台に」
「頭痛はきえる」
「これは頭痛なんてもんじゃない。スチールの刃で頭の中を切り刻まれるようだ」
「無茶な手術はできない」
「普段まともに考えることもできない」