ETV特集・選「吉本隆明 語る〜沈黙から芸術まで〜」を観て。

敗戦の後、世界を知るにはどうすれば良いのかという勉強を懸命になって5、6年やった、というお話が印象に残りました。


【これが分からなければ生きてる甲斐がないじゃないかっていう思い込みでしたから】


そして吉本さんが世界を知るために選んだのは、アダム・スミスからマルクスまでの古典経済学でした。


【古典経済学が世界を認識したり掴んだりするのに一番近いんじゃないかという考えを持てるようになって、大真面目に一つ一つ検証しながら読んで考えていった】


僕が読書を始めた頃、世界を知るにはどうすれば良いのか、という想いに近いものはあったような気がします。しかし世界を知ろうという想いと古典経済学が、僕には結びついていませんでした。マルクスの『資本論』については、以前ブログで紹介した読まないと決めている本である『内省と遡行』や『暗夜行路』と同様に、読まないと決めていました。 ただ、『資本論』と他の本では、読まないと決めている、読まない本と位置付けている意味合いが異なります。「経済学」という学問に対して抱いているイメージが、文学や哲学と違って、実存から距離のあるマクロ的な問題を扱った、吉本さんのお言葉をお借りすれば「実感」から遠いものだと思っていました。つまり、経済学を学ぶことは実存的な実感から離れた問題と向き合うという意味で、現実逃避だとさえ思っていました。


今、僕は言葉を必要としています。社会に向けて人々に向けて語る言葉を。その言葉・・・言語に代わり得る、芸術・・・音楽、映画、演劇、絵画、彫刻、デザイン、工芸、などではなく、誠実で切実で実践的な「言葉」を求めている。

もしかしたら世界を掴む言葉は、「詩」のような形でも産み出せるかもしれません。しかし、社会を変え得る実践的な言葉を産み出すには、もっと誠実に言葉を尽くす姿勢が必要なのではないかという気がします。

吉本さんは古典経済学に世界を掴む言葉を求めましたが、現在では何を読めば、或いはどこへ行けば世界を知り、社会を変え得る実践的な言葉を産み出せるのだろうか。

もしかしたら現在もアダム・スミスや、マルクスなのかもしれません。とりあえず先日購入したマルクスの『賃労働と資本』を読みながら考えてみたいと思います。