抽象的言辞

僕なんかが小説を書けなくなった、その根本理由は、人生観の形式を喪ったということらしい。
(中略)あたしァ諦めたんだよ。諦めてね、もっとやさしい道を進んだ―のか何だか判らないけど、
もっと抽象的な批評的な道を進んだのよ。抽象的批評言辞が具体的な描写的言辞よりリアリティが果たし
て劣るものかどうか。  (小林秀雄『伝統と反逆』坂口安吾との対談_ユリイカ_2001.6)

つながりの作法

綾屋紗月さん、熊谷晋一郎さんの『つながりの作法』再読。


本書の第1章と第2章では身体内部でのつながりについて、3章ではコミュニティレベルで検討し、
4章と5章では、当事者研究の可能性と具体例について書かれている。
章を追っていくごとに、「私」から社会に開けていく経路が描かれているように思えた。
しかし約一年前に読んだ当時は、終章で再び自分に回帰したのが個人的に不満だった。
当時の僕は、その経路の先に「社会的な資源へのアクセス経路」(斎藤拓〈立岩真也さんとの共著〉『ベーシック・インカム』p.231)
を求めていた。


読み返して本書に対する印象はかなり変わったが、再読した際も「私」のつながらさについて綾屋さんが書いた第一章が一番興味が深かった。


例えば、綾屋さんは自身が内外から受け取る情報を統一できない状態を「木を見て森を見ず」という慣用句を用いて、《「木の一本一本の特徴は何百本分も覚えているが、木と木の関係性や森全体の傾向は読み取れない」といったところだ。》(『つながりの作法』p.26)と言う。


僕は逆に「木の一本一本の特徴」、つまり、細部を読み取ることに極度の疲労を感じるため、記憶することを回避し、「木と木の関係性や森全体の傾向は読み取」っている気がする。いわば、「木を見ず森を見る」傾向があるのではないか、ということに気づけた。


柄谷さんは、武田泰淳が『史記』に見出した構造について次のようにいう。


《彼は『史記』のなかに、ヘーゲル主義的な把握に対立し、且つそれを相対化する視点を読もうとした。それは歴史を空間的に把握することであり、「世界」史から意味・理念・目的を排除し、そこに「中心のない諸関係の体系」をみることである。あるいは「混沌」―ードゥルーズの言葉でいえば西洋思想史が抑圧してきたリゾーム(根茎)的な網網状のシステム―ーをみることだ。210》(『歴史について』、『終焉をめぐって』所収、p.210)


「中心のない諸関係の体系」、「混沌」、「リゾーム(根茎)的な網網状のシステム」をみつめる生活は、細部を読み取ることに極度の疲労を感じる身体的な条件が支えている。そしてその極度の疲労を及ぼしている具体的な諸事情を意識的に抑圧している。


つながりの作法では、「研究の論理」を具体的に実践する上で
「抑圧されずに一次データを語れる場の制度的確保」が重要だという。(P.131,P.134)


そのような制度的に確保された場で、自分の意識的な抑圧は解放されるだろうか。
それとも意識的な抑圧は、社会の絶対の関係性がもたらすのだろうか。
それともやはり立ちふさがっているのは僕の規範意識か。
いやその規範意識は健康幻想が、、、これが「ぐるぐるモード」なのか…

伝えることも伝えないことも共同生活を脅かすことになるとするならば、今の私がどちらをとるべきかといえば、少なくとも相手との共有が始まる可能性のある「伝える」しかない。「これは規範からはずれてしまっている恥である」と思って誰にも言えずにいたことを、初めて人に伝えるというのは、もっともハードルが高い作業だ。毎回、「これを言ったらこの人はあきれて離れていってしまうのではないか」とひどく怯える。でも話さずに相手を脅かすくらいなら震えながらでも自分が話すしかない。沈黙の暴力をふるわないために、私には話す「責任」があるのだ。ここでようやく、私は外へ向けて始動する準備が整う。(P.207)


約一年前の当時の僕が第六章に不満を感じたのは、【「これは規範からはずれてしまっている恥である」と思って誰にも言えずにいたことを、初めて人に伝えるというのは、もっともハードルが高い作業】を、【沈黙の暴力をふるわないために、私には話す「責任」があるのだ】という覚悟に至るための、【外へ向けて始動できる準備】が整っていないかったからかもしれない。


「恥」とは...

引用の衝動

カフカの「訴訟」と「城」はヨーロッパ世界の、「法」の、長い歴史を、ユダヤ人なればこそ、踏まえた作品です。「法」の不条理を「理解」できなかったばかりに、主人公は滅びる。小説ながら、最後の悲劇だと思います。しかし著者は亡くなる直前に、自分の作品を否定するようなことを言い遺している。何のための犠牲か、何の甦りあってのことか、ということではないでしょうか。(古井由吉平野啓一郎さんとの対談『特別 震災後の文学の言葉』より)


カフカの『城』は、以前、僕が読まないと決めている本の一つだとブログで書いた作品。
カフカに対する自分の考えに近いことを簡潔に言葉にされていたので引用したい衝動に駆られました。。

部分引用

随分前に読んだ『つながりの作法』を再読。
自分と綾屋さつきさん、熊谷信一郎さんとの共通点と相違点について第一章と第二章から「部分引用」してまとめてみました。


●綾屋さつきさんとの共通点。

私の内側からの感覚で言えば、「どうも多くの人に比べて、世界にあふれるたくさんの刺激や情報を潜在化させられず、細かく、大量に、等しく、拾ってしまう傾向が根本にあるようだ」という表現になる。p.14

私には「声を出して話す」という行為がとても難しかった。長年、何だか発声器官をうまく操れないことに、ずっと悩んできた。p.31

音声言語で話そうとすると、自分の声であっても意味がとりにくい上にすぐ消えてしまうが、文字言語だと明確な意味が消えずに残る。また私にとって「文字を紙に書く」という運動も、発声運動と同様に、調整でかかりきりになってしまってスピードが遅く、しかもできあがった文字がふぞろいで意味がとりにくいものになってしまう。p.39

私はしょっちゅう、「誰ともつながってない!」という感覚に襲われる。p.40(但し、僕の場合は感覚といよりは明確に意識している)


●相違点

「私」という統一感を持った「存在の輪郭」と呼べるようなものまでも、すぐに見失ってしまいがちになる。p.18

「バラバラな情報の大量インプット」という特徴は、情報が「自分の身体の内側か外側か」に関わらず生じている。p.21

「木を見て森を見ず」という言葉を引用するならば、「木の一本一本の特徴は何百本分も覚えているが、木と木の関係性や森全体の傾向は読み取れない」といったところだ。p.26

「わたし」を立ちあげるためには、キーボードとディスプレイが不可欠となり、「私の思考はキーボード操作をする指先とのみ直結している」と感じるまでになった。p.39

世界とつながっていない感覚が高じて、「はたして自分の感じていることは本当にあるのだろうか」と自分の感覚に確信が持てなくなり、「そもそも自分は確かに存在しているのだろうか」「自分は何者なのか」という実存感覚まで危うくなっていく。p.42

●熊谷信一郎さんとの共通点。

私がキーボードを打つ時というのは、右手の人差し指だけでパソコンを打っているにもかかわらず、指や手首の筋肉に力が入るだけではなく、肩の筋肉や腰の筋肉も含めて、ほぼ全身の筋肉を使っている。p.47  (ただし、僕が使っているのは「筋肉だけではない」)

身体の各部同士のつながりが強すぎると、一つの小さな動きをしたくても、全身運動をしてしまって疲れやすいことが問題となる。p.47

脳性まひのもうひとつの問題は、「体の筋肉が過剰につながってしまうために、外の世界としなやかにつながれない」という点にある。p.49

「健常者幻想」は「いまだ至らない、不完全な私の身体」というイメージを突き続けることで、自己身体についての信頼、つまり自信のようなものを奪い続けるし、p.52

密室の中で膨れあがった幻想的な規範イメージは、私の身体がありのままであることを否定する。その否定のエネルギーによって、私の体は等身大の状態からずらされ続け、身体内にひずみエネルギーのような緊迫が高まるのと並行して、監視のぐるぐるが加速していく。そしてエスカレートしていくひずみとぐるぐるが一線を越えると、まるで堰を切ったように身体外部へと爆発的に放出される。p.54

一人暮らしをする前の私のように、欲求が立ちあがるや否や親が解決してしまうという状態では、自分自身の欲求のもとになる身体内部の乱れやつながらなさと、長時間向き合うことができなかった。p.60


相違点

「厳しい社会幻想」は、「無理解で無慈悲な恐ろしい世界」というイメージを突きつ
け、「なんとかなるさ」という世界への信頼を損なっていく。自己身体と世界への不信は、密室の殻を破って外の世界へとつながっていくための楽観的な構えを奪い、怯えながら密室にとどまらせる力として作用するため、母との分離不安と外界への社会不安はますます高まっていく。p.52

密室から一歩踏み出した私は、世界とつながっていった。p.64


・つながりの作法というタイトルと、二人の著者の関係が夫婦であることは関
 係あるのだろうか...。


・部分引用ではなく、自分の言葉を獲得する、その日まで。。。

関係の原的な負荷

先日古本屋で見つけた『群像2008年12月号』に掲載されていた加藤典洋さんの『関係の原的負荷-ニ00八、「親殺し」の文学』。「親殺し」というテーマに興味があったので読んでみた。

加藤は4節で「関係の原的な負荷」について述べている。

「近代前期の親子間において、親の子への愛情が「有償」でないのは、それが親と子を含んだ人間のいわば「類的存在の存在の連鎖」のうちに生きているからである。(中略)自分をある程度犠牲にしてでも子を育てようとするのは、人間の生物=類的存在としてのいわば「本能」のためであると考えられる。それは生物として当然の属性なのだから、子は、ほかの動物の場合と同様、同じく生物=類的存在として、親のこの奉仕にとりたてて感謝する必要はない。子はそれを負い目に感じることなくただ享受すればよい。この場合、そこに生じる生物=類的存在としての親と子の間の負債」(この場合子の親に対する負債)は、今度はその子が親となり、そのまた子に対して生物=類的存在として愛情を注ぎ、自分をある程度犠牲にしてでもこれを育てることで、返済されるとみなされている。25p

「この関係性の中では、そのまた親から受けとった類的存在である子としての負債に関する返還のサイクルとみなされている。」25p


「類的存在の存在の連鎖」から外れたものは「無償」の愛情の代わりに、「無償」の生活保障を受けて生存しているのかもしれない。そこに「負い目」は感じていない。しかし、どこかに「負い目」(後ろめたさ)を感じている。

加藤は沢木耕太郎の『血の味』の父子関係が親戚や母と妹からも切断されている点に言及し、次のように述べている。

「類的存在としての存在の連鎖から切り離された父と子の関係で、父からの愛情を受けとる子は、その愛情の負債分を、今度は自分自身が父親となり、子へ愛情を注ぐ形でさらに子へと回付してやる、というみちすじを奪われている。むろんその可能性は誰にも開かれているが、そこに至る(いまいるところからの)「出口」が閉塞しているからである。」26p


「みちすじ」が見つからず、「出口」が閉塞しているために、「負い目」が蓄積されていく。そして「可能性」も蓄積されていく。


閉塞している出口を切り開く経路はあるか。


しかし、それが、「活私奉公」せよ、というものに変わる。いまや「滅私」では足りない。「贅沢は敵」、自分の中の私的欲望を抑えるだけでは足りない。そうではなく、自分の中の私的な資産をすべて公のために活用できるエネルギーに転換した上で、これをも公のために差し出せ。これが「活私」である。29p

ここに「公」と「私」の二分法が消えていることに注意しよう。もう内部も外部もない。というか、内部はすべて、「外部」の侵入をうけ、いわば外部化している。昭和史で言えば、ファシズムの時代が到来しているのである。29p


「自分の中の私的な資産をすべて公のために活用できるエネルギーに転換」することで閉塞を切り開けないか?


「活私」と「経路」の分岐点。


「活私」では、蓄積された可能性(資産)をエネルギーに転換するための装置(環境)が必要になる。
「経路」では、蓄積された可能性(資産)を一歩づつ確定していく作業が求められる。


続く。

『海辺のカフカ』のナカタさん

紛争の解決を図る際、

直接的には表象できないものに仮の「形」を与えて、矯正的な「正義の秤」を水平にしようとする場合、各人にとっての有用性や好みが異なる具体的な″物"や"行為"よりも、具体性を「捨象」され極限まで「抽象化」された「貨幣」の方が都合がよいといえよう。(仲正昌樹『お金に正しさはあるのか』171頁)


仲正昌樹さんの『お金に正しさはあるのか』では「「貨幣」が新しい「信用」を作り出すうえでポジティヴな役割」を果たしている文学作品の例として村上春樹の『海辺のカフカ』を挙げている。

個人的に村上春樹の長編小説では『海辺のカフカ』が一番印象に残っている。夜行バスや私立図書館の空間的な雰囲気やナカタさんや佐伯さんなどのキャラクターに魅力を感じていた。特に、〈「貨幣」と結びついた「抽象的な思考」ができ
ず、複雑な会話もできない〉(180頁)ナカタさんが気に入っていた。〈字が書けないが、猫と話をすることができる。ずっと中野区を出たことがない-死んだら世田谷区の「カラスヤマ」の墓地に入ることになっている-ナカタさん〉(174)が。

〈「貨幣がきのこのように勝手に自己増殖する」ことが”当たり前”になっている、全面的に貨幣化された社会の一員になり切っていない〉(176頁)カフカ少年も。

〈何らかの"本体"があるのかもしれないが、具体的な形を取ってナカタさんの前に「現前化」し語りかけることができないので、有名な「商品」の外見を借りたよう」であり、「物理的な本体を持たず、もっぱら「商品」を通して自己を現わす「貨幣」のような存在だと言える〉(181)ジョニー・ウォーカーさんも。

〈宇宙の超越的な法則性の化身であるとしてか思えないところだが、そういう先入観がなければ、「資本主義のイコン」を利用しているわけだから、市民社会を「信用」関係によって統合している中立的なメディアである「貨幣」の化身として読んでもいいように思える〉(183頁)カーネル・サンダースも。

〈佐伯さんの亡くなった恋人の実家が「資産家」だったことによって、金銭的に支えられている〉(184)甲村図書館も。

〈ナカタさんに補助金を出してくれる〉、〈恐らく(アメリカに対して)ノーと言える日本」と言って話題になったタカ派の知事と思われる〉(186頁)知事さんも。

「何と言っても一番の被害者とおぼしきナカタさんが、アメリカに対しても、(中略)日本という国家に対しても反抗的態度を示していないことが大きい。ガス実験のおかげで知能の発達が止まって抽象的な思考ができなくなっているナカタ
さんには、誰が自分をこのような影の薄い存在にしてしまった元凶かという分析はできないし、そもそも自分が不幸か幸福かさえよくわかっていない-ご飯を食べている時だけは、幸福に感じるようである。」(前掲書188頁)


抽象的な思考が出来ないナカタさん・・・。抽象的な思考にしがみついている自分・・・。

現実に、ナカタさんのような人が中野区で平穏に生きていけるかは別にして、自分に必要の無い"大きな金額"に「関心interest」を示さず、狭い日常の中にとどまり続けた彼の人生は、それなりに安定していた。ジョニー・ウォーカーの姿
を借りた"何か"がちょっかいを出して、日常性の"外部"の、「精神における抽象的思考」と「ファンタスゴマリー的な欲望」が相互作用しながら発展し続ける市民社会の"現実"のただ中に強引に連れ出されるまでは。(前掲書190頁)


連れ出されるまで、ナカタさんは「猫さん」と話せる能力を活かして「猫さん探し」のビジネスをしていた。そこには〈ナカタさんと近所の人々の間に、『貨幣』に媒介された絆(=信用)が成立〉(194)しており〈中野区内の彼の周辺周辺には極めて小さな『経済』関係が成立していた〉(191)〈利殖的な性格がほとんどなく、使用される地域と用途、相手が限定されており、しかしそれゆえに地域的コミュニケーションの緊密化のためのツールになっているという点では〉(194〜195)〈「猫さん探し」のお礼としてナカタさんが受け取っている「お金」は、実質的に「地域通貨的」なものだったと言える〉(194)という。そして、〈損得勘定などしないで、淡々と頼まれた仕事をするだけで〉(195)〈
自/他の利害関係に対する「無関心さ」のおかげで皆に信用されて、「猫さん探しという仕事を依頼されるのだろう。〉(195)


抽象力にしがみついている僕は、損得勘定から逃れられず、自/他の利害関係に関心を寄せているのだろうか。ただ、利害関係に無頓着であるがゆえに、ナカタさんは地域的なのかもしれない。自/他の利害関係・損得勘定の意識が、公的な営みには必要なのかもしれない。


ところで、なぜ『海辺のカフカ』やナカタさんの存在が気になってるのだろう・・・。つい「ボンヤリ」という言葉をつかってしまいそうになります。

仲正さんはナカタさんにこだわる理由について述べている。

私がなぜナカタさんの話にこだわるのかというと、『海辺のかカフカ』に描かれたナカタさんというキャラクターが、貨幣によって無制約の所有「欲望」へと駆り立てられることなく、“コミュニケーションの補助媒体としての貨幣”とつき合っていくための条件を“身を持って”示しているように思えるからである。それはほぼ達成不可能な条件であるー哲学にとって、なぜ“達成不可能”であるかを考えることは、決して無意味ではない。(前掲書(198〜199頁))


なぜ“達成不可能”か・・・

公的な営み

考えることは、公的な営みに関わる何かであるような気がする。

そんな時、僕はカントを思い出す。カントはどうしてあんなに抽象(観念)的な文章を書いたのか。

竹田青嗣さんは柄谷さんの『トランスクリティーク』を批判している本で次のように述べている。

柄谷は、カントの『啓蒙とは何か』から、カントの「世界公民的社会の一員」という言葉を引き合いに出し、カントの思考がはじめから国家的、共同体的な枠組みを超えるようなものだったと、主張する。しかし、ひとことで言って、カントにはそのような「共同体の間」に立つという発想はまったくなかったし、なにはともあれ市民国家の建設が火急の課題だった時代にそのような考えを持つ理由もなかった。*1


(因にこの引用は昔メモ帳に書き残したものです)。

「市民国家の建設が火急の課題だった時代」だったかどうかは置いて、抽象的な思考は必然的に超国家的・超共同体的なものに結び付くのだろうか。

彼は空間的には全く移動しなかったが、移動への誘いを拒否したことにおいて、そしてコスモポリタンであり続けることにおいて、一種の亡命者であった。*2

ケーニヒスベルクからほとんど動かなかったカントほど「移動」と縁のない哲学者はいない。しかし、ケーニヒスベルクはたんに辺境の田舎ではない。それは当時まで繁栄したバルト海の交易の一つの中心であって、ある意味でベルリンよりもかえってイギリスに近く、さまざまな情報が集積する場所であった。*3


「『移動』と縁のない」「さまざまな情報が集積する場所」・・・インターネットに繋がったPCの前に座る・・・いやこれだけでは条件を満たさない。「思想の抽象性」、「現実の抽象性」にすがりつかざるを得ない境遇が...主人であり奴隷であり

*1:竹田青嗣『人間的自由の条件』14p

*2:トランスクリティーク』18p

*3:トランスクリティーク』200p